法学部専任教員によるリレー連載、第25弾は中谷崇准教授です。
表題の言葉は、世界史の教科書にも載っているアウグスティヌス(354-430)というエライ人の言葉です。ハッタリを利かすために少し硬い訳にしましたが、要するに「人は間違いをする」という意味です。法もこのことを考慮して制度設計されています。ここでは特に商品を売り買いする場合の「間違い」を例に挙げて説明します。
コンビニで月曜日に少年誌Jを買ったら、読みたかった「あの漫画」が休載だった。もしかしたらこんな経験をしたことある人もいるかもしれません。こんなとき返品したいと思っても、店員さんに「だが断る」と言われてしまうのがオチでしょう。
自分が買おうと思ったものと違ったものを買ってしまった場合、一定の条件を満たすと契約をなかったこと、つまり無効にすることができます。この制度を錯誤と呼びます。しかし、どんな間違いであっても契約が無効になるとすると、取引というものが成り立たなくなります。なので、どんな間違いであれば契約を無効にできるのか、が重要になります。
ずっと昔のヨーロッパでは、そのポイントを合意の有無に求めていました。たとえば、売主はAという土地を売却しようとするが、買主はBという土地を購入しようとしていた。この場合には売買の合意がないので売買は無効だとされました。では、買主が金の腕輪を買うつもりで青銅の混じった金の腕輪を買った場合はどうでしょう。この場合は、ある物体が別の物体として売買されているかどうか、つまり物体の本質について誤りがあるかどうかで区別されていました。たとえば、青銅が混じっていても物体の本質(金の腕輪であること)には誤りがないのだから、売買は有効だ、というワケです。
「物体の本質」という考え方は、時代が進むとヨリ広く考えられるようになり、契約の本質的部分であるとも考えられるようになりました。そしてこの部分に関して誤りがある場合に、契約は無効になると考えられるようになりました(これを「本質的錯誤」と呼びます)。日本の法制度でも契約が無効になるのは、重大な間違いである「要素の錯誤」(本質的錯誤とまぁ似たようなものです)がある場合だと考えられています。
でも、間違いの中にも「契約自体をなかったことするほどではないが、契約をそのまま維持するのも適切ではない間違い」というのもあるはずです。これを法的にどう考慮するか。これが現在の私の関心事です。
ところで、冒頭に引用した言葉はこう続きます:「強情にも誤ったままでいることは悪魔的なことである」。間違いをすることは誰にもあります。が、法的にはともかく、人としては、自分の誤りに気づいたら素直に改める謙虚さを常に持っていたいものです。
9月1日(土)に開催されるオープンキャンパスにて、中谷崇准教授の模擬授業(タイトル:「インターネット通販と高校生」)が体験できます。申込不要ですので、興味のある方は是非とも参加してください!
第24回 「行政に関する法制度の目的とその変化」(倉島安司准教授)
第23回 「法とユスティティア―「剣」から「錨」へ」(長谷川裕寿准教授)
第22回 「GNHから大学教育を想う」(秋池宏美教授)
第21回 「戦国時代とはこんな時代」(黒田基樹准教授)
第20回 「震災と政治(2)阪神・淡路大震災と政治」(成田憲彦教授)
第19回 「情報法は決して目新しい学問ではない」(辻 雄一郎准教授)
第18回 「震災と政治(1)関東大震災と政治」(成田憲彦教授)
第17回 「株式会社の暴走をいかに防止するか?」(菊田秀雄准教授)
第16回 「成人年齢の引き下げ(18歳成人)と民法(1)」(上河内 千香子准教授)
第15回 「『デジタル人間』と『生身の人間』-あなたの個人情報はこう使われていた」(宮下紘准教授)
第14回 「インサイダー取引禁止はどのような者におよぶか?」(王子田 誠教授)
第13回 「鉄の時代を生き抜く―文学だって面白い」(海老澤 豊教授)
第12回 「裁判員制度について」(堀田周吾准教授)
第11回 「法律は「弱者」を守れないのか?」(草地未紀講師)
第10回 「イマヌエル・カント」(福田二郎教授)
第9回 「「本の王国」とブックタウン運動」(熊田俊郎教授)
第8回 「「フレセキュリティ」(flexicurity)と「フレシキュオリティ」(flexsecquality)」(石田信平講師)
第7回 「時効とは?」(竹内俊雄教授)
第6回 「刑事政策について」(米山哲夫教授)
第5回 「鳩山新政権と政治学」(西川敏之教授)
第4回 「証明責任・証明妨害 ― 神判に起源?」(太田幸夫教授)
第3回 「経済に関する法の直面している問題」(大録英一教授)
第2回 「私の憲法研究」(「北原仁教授)
第1回 「子ども虐待の防止――私たちにできること」(吉田恒雄教授)