法学部教授 黒田基樹
7月3日(日)に放送された第26回は、天正19年(1591)末の羽柴(豊臣)秀次の羽柴家相続・関白任官から、真田家の肥前名護屋在陣を挟んで、文禄2年(1593)8月の昌幸母の死去、秀吉嫡子秀頼の誕生までが扱われていました。
肥前名護屋城は、秀吉による「唐入り」(朝鮮出兵)の本陣とされ、秀吉自ら在陣しました。諸国の大名もすべて同地に在陣しました。当然、真田家も、昌幸・信幸が在陣し、信繁は秀吉の馬廻衆として、名護屋城に在城しました。
ただし昌幸・信幸が名護屋に着陣した時期、名護屋から帰陣した時期は正確にはわかっていません。昌幸らは、徳川家康を大将とする軍団に編成されていたので、おそらくは家康に従って文禄元年4月末の着陣、同2年8月中旬の帰陣と推測されます。
なおドラマでは、昌幸らは8月1日死去の昌幸母河原氏(ドラマでは「とり」)の死去にあたって、帰陣してその死に目に立ち会っていますが、これはドラマ上の演出です。「とり」の死去に、昌幸らを立ち会わせたかった、ということでしょう。しかし正確な帰陣時期が判明していないのですから、そこらへんは自由に設定できるということです。
この名護屋には、朝鮮に出陣した大名を除いたとしても、1年半以上にわたって全国の大名が集結するという、希有の事態がみられていました。大名たちにとってそれは未体験のことでした。これによって秀吉による「天下一統」の時代による変化を、否応なく体感したに違い有りません。
ちなみに秀吉は、関白を秀次に譲ると、聚楽第も譲って、大坂城を本拠にします。これは大坂城のセットでの、梁の飾りです。画面ではなかなか気がつきませんよね。
関連リンク
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(22)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(21)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(20)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(19)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(18)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(17)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(16)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(15)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(14)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(13)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(12)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(11)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(10)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(9)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(8)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(7)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(6)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(5)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(4)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(3)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(2)
- 大河ドラマ「真田丸」ワンポイント解説(1)
- 時代考証担当者の眼からみたNHK大河ドラマ「真田丸」
- 教員書籍の紹介 Vol.8 「真田信之」
- 教員書籍の紹介 Vol.7 「豊臣大名」真田一族
- 教員書籍の紹介 Vol.6 「真田昌幸」